300名山紀行

伊予富士(1756.0m) 東赤石山(1706.6m)  笹ケ峰(1859.5m)

 

 2009年4月27日〜29日         山行者 4人

 

【4月27日】 久しぶりに四国の山に向かう。伊予富士は石鎚連峰の一員であるがあまり目立たない山である。四国で最長の新寒風トンネルの入り口手前から旧国道に入って行く。つづら折れの道を千m近くまで高度を上げて行き、旧寒風山トンネルを抜けた所に小広い駐車場があった。ここからはさらに瓶ケ森林道が通じていて、石鎚山や瓶ケ森へ、又笹ケ峰へも容易に登山できる為か利用する人が多い。夏は売店も開かれているよう。車が20台近くも停まっていた。高槻を7時に出て1130に到着。ここから登山を開始する。

 すぐに雑木林の中の急登が始まる。ジグザグの登り1時間程で桑瀬峠に到着。ここはトンネルの真上で、昔は伊予と土佐を結ぶ重要な峠であり往還も盛んであったそう。一面に笹原が広がり、樹木が全く見あたら無い。

笹道を辿り鷹巣山への分岐点を越えた所で初めて伊予富士と対面できる。幾つものコブを連ねた頂陵はズングリとしていて何故か全く富士山の姿をしていない。広々とした山陵には昨日の雨がここでは雪となり、北側の潅木に見事な霧氷の花を咲かせていた。全山に白いサクラの花が咲いているよう。今温かい日差しを受けてポタポタと落下していて、先端だけ残っている様はタムシバの花が満開に咲いているよう。長いエビノシッポは見事である。この光景がここの名物だそうで、11月から今頃まで見られるよう。

枯枝ばかりのコメツツジの群落の急坂を登った所が伊予富士の山頂であった。端から2番目のコブが山頂であった。眺めが良い。瀬戸内海や太平洋が霞んで見え、続く山陵の端は石鎚山までウネウネと続いている。笹原の中へ一筋の道が延びていて、すぐ下の並行して走っている林道から登って来た登山者が今、下って行った。大きな樹木の無い笹原ばかりの展望の良い山域である。

下山は往路を引き返す。車を回し、西赤石山登山口の日浦の駐車場にテントを張る。

 

【4月28日】 

東赤石山

筏津山荘駐車場に車を置いて、東赤石山から西赤石山への縦走に向かう。別子山村は人口300人ほどの小さな村であるが、今は西条市になっている。かつては1万人も住んでいたと言う別子銅山の町であり、坑道跡が幾つも残っている。

筏津バス停前から登山道は始まっている。道は回り込んでから瀬場谷に沿って登って行くようになる。水量豊富な八間滝が足下に見下ろせる。幾段にもなって落下している様は豪快である。その中間辺りに、色鮮やかにアケボノツツジが一本ピンク色に輝き見事に満開の花を咲かせていた。足元近くにヤマシャクヤクが白い頭をつけ薄暗い斜面にツボミを開きかけている。イチリンソウが暗闇の中で可憐に点々と咲いている。山の春はまだまだこの辺りのみのよう。

 橋を渡り分岐を右へ涸れ谷を登って行く。大きな丸石がゴロゴロとしていて歩き難い。赤っぽい石である。所々に赤いミツバツツジ見られるが、ここではアケボノツツジの花びらは総て落下していた。ヒノキに似た赤い肌をした大木がある。ずんぐりとしたクロベ(ネズコ)の巨木である。ツガ・五葉松など岩陵特有の植物が多いそう。

 頭上はるか見上げる所に東赤石山の山頂が屹立している光景が現れる。ゴツゴツとしている岩の山で、紋様のある蛇紋岩の岩場だ。登り切った山頂は巨岩の積み重なった橄欖(かんらん)岩の上にあった。岩ばかりで三角点は見当たらなかった。はるか町並と海が見下ろせ、冷たい風が吹き上げて来る。草々に下山する。

 尾根続きの隣の八巻山は岩塊の山だ。道は不明瞭で、巨岩の間のルートを探しながら、上に下に右に左にと迷路の中を歩くようで疲れる。赤石山荘にひとまず降り一息入れてゆっくりとする。

 前赤石山も岩だらけの山である。これは登らず水平にトラバースして行く。これを過ぎると穏やかな稜線になり、やがて西赤石山に達する。幾つものグループ達が登って来ている。日浦からの登山者達のようで登り易い山なのであろう人出が多い。

 「銅山越」の峠。300年前から続いた別子銅山で掘られる資材を運んだ峠、供養塚が祀られている。40kgもの荷を担いで運んだと言う人達である。ここから日浦登山口までの下り道には、坑道跡・溶鉱炉跡・小学校跡・劇場跡など丁寧に説明板が立ってある。最盛期には大勢の人達で賑わったであろう銅山の町跡。うず高く積み上げられ苔むした石垣が昔を物語っている。この地域の山々は溶鉱炉に使う炭にするため多くの森林が伐採され丸裸の山々ばかりである。申し訳程度にカラマツが植えられていた。

 日浦登山口の狭い駐車場には10台もの車が駐車していた。すぐまもなくやって来た乗用車に便乗させて貰い、筏津へ車を取りに行く。

 

【4月29日】

笹ケ峰

 最後の山、笹ケ峰に向かう。車は鳥居のある下津池から林道に入り、細い道は何回も折れ曲がりながら登って行く。舗装された道路は後少し2kmと言う所で終わっている。昨夜はそこから少し下がった所の吉居川橋の袂で泊まった。

 車を舗装路の終点に置いて林道を40分程歩くと登山口のある駐車場に到着する。5台ほど停まっていた。ここで既に標高は千mである。

 川沿いに登って行く。大きな堰堤があり水量の多い谷である。明るい谷沿いの林の中でイチリンソウが鮮やかに咲いている。宿と言う場所は別子銅山で使う木炭の中継地跡で広場になっていて、水場もあり苔むした石垣が並んでいる。谷沿いの所々にブナやミズナラの大樹が見られる。木炭には不向きなので残されたものなのであろうか。

 丸山荘は昔の木造小学校のような感じの2階建て細長で赤い屋根、幾つもの小部屋に分かれている。真ん中に出っ張った入口があり、カギが掛かっていた。宿泊の予約があれば開けるのであろう。小屋の裏手から笹ケ峰の登りが始まる。小さなスキー場があった。

 こんもりとした丸山は一面の笹に覆われている。ジグザグに登って行く。 山頂には大きな一等三角点があり、不動明王を祀る岩塊があった。登山者が一人休んでいる。眺めが良い。石鎚から赤石山・剣山まで、四国の山々が総て見渡せる。目前の台地状の山は平家平、ここにも平家の一族が住んでいた。冷たい風が吹き渡りゆっくり出来ず早々に下山にかかる。

 向かいの「ちち山」に登る。山の北側には先日の雪が凍り着いていて少々てこずる。狭い山頂の岩の上に同じく不動明王が祀られている。乳の出を願ったのであろうか乳山の標示もある。ここは風も無く暖かい。少しゆっくりとする。

 モミジ谷はこの山唯一の樹林帯が広がっている。オオイタヤメイゲツの純林帯だそうで、まだ堅いツボミに覆われていた。シラベ(シラビソ)の林が見られ、四国では珍しい貴重種である。ここにも雪が凍っていて歩き難い。向かいから一人登山者がやって来て助かる。

 帰り着いた登山口の駐車場には20台近くの車で満杯になっていた。本日は祝日の為か多いのであろう。熊本から来たという一人の登山者が帰って行った。

 名物の讃岐ウドンを食し、伊予西条から明石大橋を渡り、帰路に着く。3日間天気良好で、楽しめる山であった。花には少し早過ぎた為かあまり出合えなかった。

 

4/27 寒風峠(11:30)−伊予富士(14:00)−寒風峠(15:30

4/28 筏津(5:40)−東赤石山(9:00)−西赤石山(11:40)−日浦(14:00)

4/29 下津池林道(5:40)−登山口(6:15)−笹ケ峰(9:00)−登山口(12:10)