< 池口岳 2392m >
2004年5月2日~3日 山行者 6人
池口橋(6:40)-▴1441(9:40)-鶏冠山(15:00)-笹ケ平(16:00) |
南アルプス深南部の山、日本200名山の一つである。光岳以南に続いている山々はヤブと崩壊の続く荒れた山々で、登山道も無く水場に苦労する所、今回は残雪期に計画して見る。平家の落ち武者集落遠山郷は和田城主の末裔で、このあたり周辺の山林を所有している。最近この山への登山道が開かれたと聞き、今回は鶏冠山に登り池口岳西尾根を下る周回コースを取った。
【5月2日】 晴
大島のバス停から遠山郷へ入り、集落の入り口にある池口橋手前の広場で車を置く。天気は良く今日一日は持ちそうであるが、明日からは悪くなる予報。ここは標高700m、三角点1441m近くまで作業用のモノレールが登っていてこのモノレール沿いに一気に登る計画である。
石ころの詰まった斜面には登山道らしきものはなく、杉の植林用の道を拾いながら、かなりの急斜面をゆっくりとじっくりと登って行く。高度計は急ピッチで上がり次第に遠山郷の村が真下に見えるようになり、池口岳西尾根が大きく盛り上がって来る。この付近はかなり広い範囲に渡り伐採がされ植林が全面的になされている。鹿よけの網が大きく張られその都度網の下をくぐって中に入ると、中は若木が枝を張りイバラがはびこりとても歩けるような状態ではない。傷だらけになりながら突破する。かわいらしい小さなルイヨーボタンがツボミかけていたる所に見られるがユックリと鑑賞するどころではない。
数回網の下をくぐりイバラと戦い悪戦苦闘の末にやっと三角点1441mにたどり着いた。丁度3時間かかった。ここからは尾根伝いに道らしきものもあり、テープも所々見られかなり歩き易くなる。
カラマツ林が広がり、淡い緑色の新芽が陽に照らされキラキラと輝いている。これも植林されたものであろう。シラビソ、ブナ、ミズナラなどの新緑が綺麗で、気持の良い林が続いている。次第に高度を上げて行き、2000m近くから残雪が現れてくる。
急坂を登り切った所が鶏冠山北峰2204mの山頂であった。低い笹原に囲まれた山頂には三角点はなく、大きな標識が木に取り付けられていた。静まりかえっていて奥深い山に来た感じがする。標高差1500mを8時間もの長い登りの末にたどり着いた山で、ジンワリと感触を楽しむ。続く南峰はガスが広がって来ていて、ガスの切れ間に鋭く荒々しく見上げられた。今回は天気も悪く時間も遅いため往復するのはあきらめる。
すでにガスが周りを取り囲み、ここから少し下った所にある「笹ケ平」の広場を見下ろす事が出来ない。わずかな下りであるが、雪に埋まっていて標識もテープの目印も見当たらず方向を見定めて下って行くと、シラビソの立ち枯れと笹原の広がる広々とした笹ケ平に到着する事が出来た。
笹原は傾斜面にあり縦横に踏み跡がついているが、標識の類は見当たらずしばらくテント場を探して歩き回って見た。高台にテント一張分の広場が見つかった。水場の標識が見つからない為、雪を使う事にする。
【5月3日】 曇
(5:30)-池口岳南峰(7:15)-北峰(8:30)-遠山郷登山口(14:00)-池口橋(15:00) |
濃いガスに囲まれているが雨は降っていない。風が冷たく霧雨が吹き付けてくる。稜線に出て登山道を拾いながら池口岳へ向かう。雪のある所や凍りついている所、笹原や岩場、狭い稜線を忠実にたどる。
池口岳南峰への最後の登りはかなりの急斜面で、ガレと雪の足場の悪い所、立ち木を掴みながら登って行く。南峰への分岐点は広くなだらかで、ここで初めて標識に出会い人の気配を感じる。池口岳南峰は2375.6mで三角点があり、樹林に囲まれた静かな山頂であった。
雪道を下り、凍り付いた登りではアイゼンを着け北峰2392mに到着する。今回の山行の最高峰である。登山道の一部という感じで開けていた。
ここからは明瞭な登山道が付いていて、登山者も多いようで幾つものトレースが付いている。麓の故遠山要さんが開いた道は多くの人達が利用し一般のコースとなっている。以前は光岳から加加森山を越えて達するのが普通であった。
開けた歩き易い道をのんびりと花を愛でながらゆっくりと下って行く。バイカオーレンの小さな白い花が道端一杯に咲いている。イワカガミの群落が幾つも続いているが花はまだである。カラマツの林がガスの中に霞んでいる。大きな赤松の林もある。展望は相変わらずガスの中で見渡せない。
長い長い尾根の下りが続き、大きな樹木に人の顔が描かれている「面切平」を通り過ぎ、大岩の根元に祭られている山の神に着くともう里は近い。
遠山の村は連休で里帰りして来ている子供たちの歓声で賑やかであった。家屋は沢山あるように見えるが、都会に出て行き空家が多いと言う。主のいない庭には色とりどりの花が咲いていた。大きなクマガイソウが庭園の中で何本も満開に花を咲かせていた。
< 熊伏山 1653.3m >
2004年5月4日 雨
登山口(6:00)-熊伏山(8:00)-登山口(9:30) |
熊をも通れない崩壊の続く青崩峠の上にある山。この峠は信州と遠州を結ぶ秋葉街道が通じていて信玄も通ったと言う昔からの要衝の峠であったが、現在国道は途中から兵越峠を越えるように付け替えられている。
和田から152号線を南に向かい、途中兵越峠への分岐を左に見送り真っ直ぐ川沿いに登って行くと、ガラガラに崩れ落ちた大崩壊地の前で道路は終わっている。大きな駐車場があり、近くに熊伏山登山口の標識があり、階段が登っている。浜松№の車が一台止っていた。クワガタ虫の採集だと言う。今夜はここにテントを張る。前は大きな川であるが、ガレの為水は全く流れていなかった。
夜半から降り出した雨は朝になっても勢いを増して止む様子はない。本日の登山者は雨のため2人のみで、割合早く終わりそうな感じがする。階段を登り青崩峠までは30分ほどであった。綺麗に整備のされている遊歩道で、若葉の出ている多くの樹林には丁寧に名札がつけられていた。
峠からは急な登りになり、両サイドはガレで崩壊し、狭い馬ノ背の道が真っ直ぐに登っている。丁寧に手すりやロープが全てのガレ場に張られているが、天気が悪く崩壊場所は全く見なかった。
山頂に続く尾根に出ると、ルートは北に向かい風が一層強くなって来る。ブナ林の続く登山道は小さなコブを幾つか乗り越えて、雨だれの音高く濃い霧の中に延びていた。
山頂は登山道の終点のような感じで広場になっていた。立派な一等三角点が真ん中にある。天気が良ければ南アルプスの展望台となり、真っ白な聖岳や兎岳などが見えるはずであるが、全く展望は得られなかった。登山ノートにも昨日と一昨日の欄には同じ事が書かれていた。
下りは急な坂道の一本道を滑るように下って行く。往復3時間30分の山旅であった。雨はまだ止まない様子。テントで待っていた人達は這い上がって来る蛭の対策に追われ、退屈ではなかったようであった。
< 恵那山 2189.8m >
2004年5月5日 雨
神坂峠(6:30)-恵那山(11:00)-神坂峠(14:20) |
高速道路で恵那トンネルを通る度に何時も思う事はいつこの山に登る事が出来るであろうかと。今回やっとその機会が訪れた。南アルプスからの帰りの日である。中津川ICから富士見台方面への道路に入り、雨の中を適当なキャンプ地を物色しながな恵那山への道を登って行くと、中腹に欅平キャンプ場があった。大雨注意報の出ている中でもあり閑散としていた。ここの炊事場を借用してテントを張る事にした。
朝、霧の淀んでいるキャンプ場は小鳥のさえずりが賑やかで雨は止んでいた。さらに車は神坂峠まで上がって行き、標高は1500m地点となる。丁度3人乗っている車が上がって来て駐車場に入って行く。百名山を目指していると言う青森からの登山者で、今回八ケ岳が終わり明日は御岳に行くと言う。アクセントが面白くて言葉がほとんど通じなかった。先に登って行った。
山頂まで6.8kmの標識があり、広々とした笹原の広がる高原状の山波が続いている。雲が湧き上がり中津川の町は雲海の下に沈んでいた。御岳は雲の中、中央アルプスも見えない。午後からは晴れるとの予報を信じ展望の広がるのを期待して山道をたどって行く。小さなピークを幾つか乗り越えながら少しずつ高度を上げて行く。
バイカオーレン.ショージョーバカマなどが見られ、標高1800m地点で残雪が現れる。稜線に上がり込む所の急坂は雪に埋まっていてアイゼンを着ける。一向に晴れる様子も無く雨も降り出して来た為雨具を着ける。
山頂は長い尾根上にあり途中幾つもの社がある。山頂避難小屋はストーブも薪もある立派な小屋であった。シトシトと雨の降り続く中を山頂に向かう。一人の登山者が下って来る。山頂は広々とした所で雨の中展望は得られかった。
帰りはずぶ濡れになり、休む事も無く飛ぶように下って行く。雨と霧の中の恵那山であった。高速道路に出るまでの途中にある最初の大きな温泉に浸かり、冷え切った体をゆっくりと温めて行く。雨は止み晴れ間が出始めていた。今回の4日間の山旅は雨の中、あまり冴えない旅であった。