カムイエクウチカウシ山 1979m

 

2007年8月5日~6日         山行者  3人

 

アイヌ語で「神(熊)が滑り落ちたり転げ落ちる山」と言うほどに急峻な険しい山、日高山脈の中では幌尻岳に次いで2番目に高い山、北海道でも今だ原始林の様相を示し登山道は無く沢を遡行して登る岳人達の憧れの山である。はるか遠くの日高の沢を分け入り一度は訪れて見たいと随分前から思っていた。愛称はカムエクと呼ばれている。

この山では昭和40314 雪崩により北大山岳部澤田義一以下5人全員が亡くなるという遭難事故が起きている。カムエクから幌尻岳への縦走を試み、途中大規模な雪崩に遭遇したが数日間生きていて、その後遺書が見つかり「雪の遺書」として本が出版され多くの人達の涙をさそっている。そして又昭和457月、福岡大学生3人が熊に襲われ惨死している。これらの事で世に広く知られるようになった。

この山にある一等三角点は「点ノ記」によると札内岳となっている。明治346月測量隊は重量90Kgの標柱石と50Kgの盤石を担ぎ、札内川をさかのぼり札内岳を目指したが、本流よりも八ノ沢の方が大きかったのであろう、当時は無名峰であったこの山に間違えて登り、三角点を設置してしまった。その後間違いである事が分かったが、当時軍の力が強かったため訂正する事が出来なかった。戦後になってやっとカムイエクウチカウシ山と改めらたれたそうである。結果的にはこちらの山の方が大きくて見栄えが良い。札内岳1895mは札内川を最後まで詰め上がった所にある。

日高山脈山岳センターにはこれら日高に関する資料が総て揃えられている。実物の遺書や襲った熊の剥製も展示されている。一泊2000円で宿泊できると言う事なので本日はここに一晩お世話になる事にする。今日は石狩岳を登り、幌加温泉で汗を流してからやって来た。客は他に単独行者が一人のみ。

 翌日は車で10分ほど走ると立派な林道は何故か閉鎖されている。日高横断道路の工事が途中で中断されたそうで、この先もまだまだ立派な車道が続いているが、仕方なくテントを担ぎ2時間ほどで歩くと七ノ沢の出合いに着く。ここの道路にも綺麗にカーブを描いた立派な大きな橋が出来上がっていた。

沢靴に履き替えて札内川本流を登って行く。広々とした川原の中は膝下程の水流で何回も何回も渡渉を繰り返しながら登って行く。八ノ沢出合いは雪崩に押し潰されたようなデブリの中であった。埋まった樹木の先にテント場の跡が幾つも見られた。日高山岳センターで一緒だった単独行の人のテントが一張のみあった。身の丈以上のフキが立ちはだかり、巨木にツタが絡み合い密林の中にいるような感じでさながら熊の好みそうな場所である。

明くる日は夜明けを待って4時に出発する。雨がパラツキ、雲が広がり暗雲の中は辺り一面ガスに覆われ天候はあまり良くない。本流よりも川幅は狭いが水量は多くなる。対岸に何回も渡りを繰り返しながら登って行くと大きな雪渓が現れて来る。川面からは湯気のようにモヤが立ち上がっている。

幾つもある雪渓はブリッジの下を潜ったり、堅い雪面を乗り越えながら行くと、大滝のある三俣に着く。数百mもあろうかと思われる大岩壁の上から滝が三筋になって流れ落ちている。3段になって落ちている大滝もある。圧倒されるような景観にしばし見とれる。ここにも大きな雪渓があるが、複雑に崩れ落ちていて登り口が良く分からない。後からやって来た登山者と一緒になり探しまわりやっと登り口を見つける事が出来た。滝の左岸をへつる滝道は急傾斜で、岩場やガレ場がありコース取りや足場に神経を使う。ロープが要所要所には垂れ下がっていた。

登り終えて辿り着いた所はお花畑の広がる八ノ沢カールであった。さながらお花畑が綺麗な様に思われたが、濃いガスに包まれ展望は全く無い。モヤの中に黒っぽく遭難碑が浮かび上がって見え、水場がありテント場には最適のように思われるが、遠い昔ここで熊に襲われている。私たちと同年輩の方々達の若き頃の事故に冥福を祈る。

稜線に上がると谷風が激しく噴き上げてくる。頑丈なハイマツの中の道は歩き難い。両側が切れ落ちた狭い刃の上のような道を辿る。頂上直下に入り込むとカールの上部に達しているようで、風も無く色とりどりのお花畑の中で憩える場所であった。黄色のキンバイと赤ぽいシラネアオイが一斉に迎えてくれる。

頂上はお花畑の中の急坂を登った所の狭い場所であった。雲に覆われ四方の展望は全くなかった。強い風の音だけが聞こえて来る。カールの底のお花畑が雄大に見下ろせる場所であろう事が分かるが残念である。大きな一等三角点が一つあるだけの殺風景な場所ではあるが、遠い昔から日高の山の頂きに立ちたいとの思いがついに遂げられ感無量である。

同じ道を下り、滝そばの悪場を過ぎ三俣に降りて来てゆっくりと休息する。振り返って見てもカムエクの頂きはまだ雲に隠されていて見る事は出来なかった。又来る事もあるであろうか、いや又来て見たい気持ちもする。登り応えのある山であった。尾根を縦走して札内岳にも行って見たい気もする。

テント場にはテントが2つ増えていた。さらに3人パーティが登って来ている。テントを撤収して、七ツ沢出合いの林道にたどり着いた時は17時であり、さらに車の場所にたどり着いた時は19時であった。実に今日は15時間もの登山であった。今夜も日高山岳センターにお世話になる事にする。

 

 

 

8/5 車止(7:20)—七ノ沢出合(9:00)—八ノ沢出合(11:00) 

8/6 (4:00)—八ノ沢カール(8:30)—カムエク(10:00)—八ノ沢出合(14:30)—車止(19:00)