2016.2.6

比叡山

 

1.行程

阪急高槻(7:52) =出町柳(8:45,8:50)修学院「80 (8:52着、8:55出発)→1.5K雲母坂登山口「140(9:25)(10) →1.4K水飲対陣乃跡「380(10:20)(10) →1.4Kケーブル比叡横展望地「690 (11:20) (10)  北西側展望地(11:53)→1.7K比叡山山頂(大比叡848m) (12:2512:45昼食) →(5)→1.0K比叡山根本中堂「670(13:20) →0.5K延暦寺会館 (13:55) →2.0K日吉大社前「150」(14:40) (10) →1.3KJR比叡山坂本駅前「95(16:25到着)JR高槻(17:12)        

歩行距離 10.8Km 標高差 768m 所要時間 6:00(歩行時間 4:40)参加者 5名  天候 曇り時々晴れ

2.概況

 

 怪我から復帰したKU氏を含め、ハイキング部としてはいつもより少ない5名で曇り空の修学院駅を出発した。30分ほどで雲母坂(きらら坂)登山口に到着。準備体操の後、登り始める。いきなり結構な急坂で2週間ぶりの我が身には厳しく感じられた。雲母坂は現在、深い雨裂のため狭い渓谷状となり左右が見通せなくなっているところが多いが、途中でリーダーの判断により右尾根筋を登ったため、歩きやすかった。コースと合流し修学院離宮の裏手あたりに差し掛かったところで妙に人懐っこい比叡山を裏山としたH少年親子と出会い、大比叡まで共にすることとなる。しばらく歩くと京都トレイルと合流する地点に水飲対陣跡があり、休憩を取る。この水飲対陣跡は南北朝の昔1336年、足利尊氏に追われた後醍醐天皇が叡山に逃れ、近臣千種忠顕卿が足利軍を迎えて陣を張った跡で、千種忠顕卿奮戦の地であるとのこと。休憩の後、また、しばらく登ると、右手の路傍に無残にも首が欠け、代わりに小石を載せた地蔵があり、その奥に比叡山浄域と俗界を分ける浄刹結界跡の碑が立っており、思わず「南無阿弥陀仏」と唱えた。

そこを越えたあたりから、杉の植林帯となり急坂を登り切ると、やどり地蔵を背にして展望が開けたところで小休止を取る。立札を見ると「願を掛けると子どもが宿る」とのこと。今更あり得ないと思いつつ、つい手を合わせる。さすがにここまで登ると寒くヤッケを羽織る。また、ケーブル終点駅を過ぎたところにも展望が開けたところがあり、京都の市街や後に展開する山々が一望できる。ここで、リーダーからの説明を受け(左から愛宕山、地蔵山、朝日峰、鞍馬寺、桟敷ケ岳、―――、蓬莱山)改めて、すべての山名を記憶していることに感心する。ここから大比叡に至る登山道が所々完全に凍っており、注意しながら登る。12:25大比叡に到着。初めて一等三角点をみる。記念撮影の後、NTT無線中継所近くでH少年とKI氏との掛け合いをおかずに昼食を取る。ここで、人懐っこいH少年親子と別れる。ここからは下りのコースとなり舗装路を下ると、朱色の法華総持院、阿弥陀堂を経由して比叡山根本中堂に出る。当初ここで見学の予定であったが、僧侶の対応が気にくわなく取りやめとなった。近くの開運の鐘をN氏とKU氏が力いっぱい突くことで気を晴らした。その後、延暦寺会館の前を通って順調に下山した。下山途中、Leaderから左に見える八王子山、三石山から横川中道へ抜けるルートがあり、秋の紅葉時期には良いと言われた。

日吉大社前からKU氏お気に入りの風情ある坂本の街並みを歩き、帰路についた。

 雲母坂登山口                      水飲対陣跡                         首なし地蔵                 浄刹結界跡     
 宿り地蔵                                   大比叡                        根本中堂                        開運の鐘

 



































3.所感

 リーダーより指名を受け、初めて報告書を書くことになった。何をどう書いてよいのかわからないので、取りあえず記録を淡々と書くことにした。今回の山行は人数がいつもより少なかったが、天気もまずまずで途中で出会った親子共々の登山となり、とても楽しかった。ケーブル終点駅からの展望も抜群で、京都の山々が一望できたのも大きな収穫であった。恒例の反省会もいつものGyouzaではなくOkonomiyakiだったこともあり、モダン?でよかった。(A.Nakai記)