木ノ芽峠(敦賀)                 ポンポン山雑感

鉢伏山     2013年11月19日            三鍋敏郎

 

 

 ガイドブックなどでよく目にする木ノ芽峠の写真はなぜか私の郷愁を誘う。陽光に輝く茅葺の民家の風情が柔らかく懐かしく私の心に沁み込んで広がっていた。木ノ芽峠は古くからの重要な街道であり、紫式部や多くの戦国の武将たち、親鸞、明治天皇や岩倉具視らの一行もこの峠を越えた。さまざまな物資や郵便物もこの峠を越えて運ばれたという重要な峠であった。ぜひ一度は訪れたいと思っていたのだが、わざわざ行くのにはどうかという思いが交錯する複雑な心境であったが、18日の長期予報を見ると、悪天だという予測なので、雨が降っても何とか歩けるだろうという思いで今回予定にいれた。幸いにも参加したいという物好き、(失礼・・・)が何人か集まったので決行した。

  

 敦賀インターを降りて国道476号線を北上すると新保に着く。木ノ芽トンネルの手前の空き地に車を停める。訪れる人が多いのか道標が完備している。指示に従い植林地の中の林道を暫く歩くと道が細くなる。随所に立て看板の説明文があり、昔の街道の様子が良くわかる。コマユミやツリバナの赤い実が随所に見られる。弘法の爪描き地蔵は、左手にある小さな谷を渡るとすぐ右岸にある巨岩に描かれているという。苔むした巨岩のやや上部辺りをよく観察すると線彫りらしい痕跡が発見できる。

 

自然林の山道は明るい。降り返ると湖北の山々が見える。道がジグザグ道に変わった辺りで突然、峠の辺りから犬の鳴き声が聞こえてきた。耳ざとい犬たちが私たちの気配を察知したのであろう。峠下に瓦葺の頑丈な小さな建物があるので近づくと明治天皇御膳水と彫られた立派な石碑が立っている。中を覗くと、石囲いの井戸があり、透明な湧水が満々とある。その昔、流罪となった親鸞が京都から越後へ向かう途中、錫杖で地面を突くと湧水が出たという。水鏡に少し飛来物が浮かんでいたので、湧水好きの私も試飲はしなかった。

 

峠に近づくと石畳の奥に写真で見慣れている茅葺の民家が見えてきた。訪れるのは初めてなのに何故か懐かしい気持ちになった。屋根の葺き替えの最中らしく足場が組まれているのが少し残念。写真を何枚か撮り、入口を見ると「当家は観光用の家屋ではない、分正元年からの住居として、代々・・・・生活しています。」の張り紙がある。薪ストーブの上には薬缶があり、その奥には仏壇が置かれ、大きな浄財の木箱が設置されている。横には、なぜか航空自衛隊のポスターと自衛隊機の写真が数枚貼られている。前川家の当主は現在20代目で前田永運さん。

 

峠から少し下り等高線沿いに北西方向に進むと展望の開けた場所があり、黄葉真っ盛りの福井の山々や国境の山並みが広がっている。眼下のスキー場の両サイドに残された自然林の黄葉も見事に色づいて見ごろである。言奈地蔵(いうな)は木造の立派な茅葺きの御堂。地蔵堂前の広場で暫しの休憩。予想に反し穏やかな陽光に包まれた穏やかで幸せなひと時を過ごす。 

 

休憩後、鉢伏山に向かう。一旦木ノ芽峠まで戻り、家の前の墓地の左手から奥に進むと登山道があり、背の高い黄葉のブナの美林の間を行く。途中からスキー場のゲレンデを歩くようになる。スキーシーズンを迎える準備に忙しそうな係員の軽トラがリフト終点に数台止まっている。

山頂は広い草地である。奥に進むと眼下に敦賀湾が広がり対岸に西方ケ岳と蠑螺ケ岳が見え、左手には野坂山系が迫り出し、はるか遠くに青葉山が蒼く霞んでいる。山頂にある展望図は冬のスキーシーズン用なので、背伸びしないと見ることが出来ない。

 下山コースは鉢伏山と木ノ芽峠の間にある南に伸びる尾根を下ろうと思ったが、期待した巡視路の赤い標識も無く、それらしい踏み跡も見つからず、仕方なく同じ道を引き返す。 

手元にある、敦賀山友クラブ発行の「敦賀の山々」によると、早春にはスミレ、ミヤマケマン、シャガ、エンレイソウ、ニリンソウ、イチリンソウ、トキワイカリソウ、ユキバタツバキなどの山野草が豊富に咲き乱れるようである。何年後か春の雪解けを待って再び訪れたいと思っている。

 

 

★地形図「杉津・板取」     ★メンバー 他3名

★コース 登山口9:20〜ツメカキ地蔵9:409:59〜木ノ芽峠10:2810:38〜言奈地蔵10:5011:02〜木ノ芽峠11:13〜鉢伏山11:3011:50〜木ノ芽峠12:06〜登山口