沖島・伊崎寺
日時 2013.2.10(日) 天候 晴れ 有志 10名
1.行程
高槻(8:00発)=伊崎寺駐車場「90」(9:40、9:45) →0.5K堀切港(9:55着、10:15出港) =沖島港「85」(10:28、10:30出発) →0.9KPeak210(10:52)→ケンケン山(お花見広場)(10:57)→(ホオジロ広場) →1.0K尾山220m(点名:沖之島村)(11:25-12:00) →(散策)→2.0K沖島港(13:45、14:00出港)=堀切港(14:15着)→1.2K伊崎山210m(点名:伊崎)(14:41)→0.5K伊崎寺・棹飛堂 (14:55-15:10)→0.9K伊崎寺駐車場「90」(15:23)=取付き「100」(15:30) →0.3KPeak177(点名:切通)→0.3K取付き「100」 (15:55到着、16:00発)=瀬田IC=高槻 (18:40着) (分):休憩
標高差:125 m+α 全歩行距離:7.6Km+α 所要時間 6時間 10分
2.概要
琵琶湖・沖島及び伊崎寺に興味を抱き、この山行に参加する。10人が2台の車に分乗し、8:00高槻を出発し、伊崎寺駐車場に9:40到着。沖島には2時間ごとに船が出ているが、まだ観光に力は入れていないらしく堀切港には駐車場がない。従って堀切港の近くにある伊崎寺駐車場に車を止めて、10:15発の船に乗る。切符売り場はなく、船内で500円を支払う(島民は200円?とか)。10分ちょっとで沖島港に着き、「ケンケン山へ」の標識に従って山道に取付く。20分ほど登ると少し残雪のある尾根に出る。先ず西のPeak210に向かう。直ぐに着いた。残雪があり、山の標識を探すが何もなかった。引き返し、東に進む。広場があり、標識にはお花見広場(ケンケン山)とある。ここがケンケン山かなあ。少し歩くと山野の詳しいLeaderから「むべ」という木を教えて貰う。初めて見る。葉っぱの裏を見ると重厚である。「むべもない」という言葉は聞いたことはあるが。あけび科の常緑つる性植物の木で、11月にはあけびに似た実がなるという。後で調べてみよう。ホオジロ広場という所を通り過ぎ、本島の最高点である220mのPeakに11:25到着。ここは尾山という山名と思うが、標識は何処にもない。この島の唯一の三角点がある所でもあり、標石を探す。Peakより南側10m程の所に二等三角点の標石(点名:沖之島村)があった。ここで昼食を取り、30分ちょっと滞在し、全員で記念写真を撮る。
沖島港到着(10:28) ケンケン山にて(10:57) 沖之島村・二等三角点 尾山にて(11:57)
12:00南側の尾根を下る。15分ほどで湖面に出る。次の船は14:00で時間があり過ぎる。港とは逆の湖岸沿いに東へ歩く。暫くして還暦の人達が建立したと言う赤い鳥居のある弁天神社に着く、それから更に道を東に辿っていくと最後は山道に向かう。引き返し、先ほど下山してきた所を通り越し、西に歩く。小学校の前のグランドの朝礼台の前で全員高齢者順に整列する。軒先にある漁具を見ながら民家の前の細い路地を港に向かう。まだまだ時間があるので、民家の間の細い銀座道路を北に抜けると民宿の前に出た。対面を見ると雪を抱いた比良山系が綺麗に湖面に浮かんでいた。引き返し奥津嶋神社を訪れる。入口の社号標には式内奥津島神社≠ニあり、鳥居の扁額には難しい字の瀛津嶋神社≠ニある。少し階段を上がると、狭い境内に舞殿と新しい本殿。紫式部の歌が掲げられている。Leader曰くこの歌は紫式部が対岸からこちらに向けて詠んだ句だと言う。
おいつしま 守りの神やいますらん 波もさわがぬわらわえの浦
紫式部
港には漁業会館があり、お土産屋がある。此処の魚はアユ、ワカサギ、スジエビ、ニゴロブナ、ウロリ、ビワマス、ウナギ、ホンモロコ等が主体のようである。14:00発の船に乗り、堀切港に帰る。
沖島小学校(12:53) 琵琶湖に浮かぶ比良山系(14:24)
次は伊崎寺だ。伊崎国有林の入口から尾根道のハイキング道を登る。此処はカワウの多い所でカワウの繁殖活動を見るコースでAコース、Bコースあるようだ。兎に角今はLeaderにお願いし、伊崎山の三等三角点の標石を見ることであった。ハイキング道横に踏み跡があり、直ぐに見つけることが出来た。引き返し10分程で伊崎寺に着いた。お参りし、先端の棹飛び棒のある棹飛堂に向かう。ここは大岩そのものを御神体に祀っているようである。下には棹飛び棒があり、長さ13m、湖面から7mの高さで伸びている。今は危険で立ち入り禁止だが、毎年8月の第1日曜日若者等が飛び込む行事になっているとか。Leaderの話ではここの参道は、昔はなく、下に船着き場があって船でお参りに着ていたと言う。15分ほど参道を歩き、15:20駐車場に到着した。
伊崎寺(14:56) 棹飛堂(15:00) 棹飛びの棒(15:03)
本日の予定はこれまでであるが、Leaderにお願いし、帰り道の近くにある四等三角点の三角点のPeak177に登りたく待って頂いた。
3.感想
ケンケン山はPeak210でもなく、Peak220でもない。総合的に判断し、標識どおり、Peakではなく、お花見広場がケンケン山と判断した。それから山行は山歩きばかりでなく、その土地の歴史や風土と触れあうことは非常に良いことだと思う。今回の訪問で沖島と言う所を今回詳しく知ることが出来た。それから郁子(むべ)という植物やそれに伴う謂れ、それから伊崎の棹飛び等色々と勉強になり、Leaderに感謝します。今後ともこう言う機会が多ければ良いなあと思いました。同時に三角点三つ(点名:沖之島村 二等、伊崎 三等、切通 四等)も探すことが出来ました。皆さん色々とお世話になりました。
参考までINで知り得た情報も踏まえ、追記させて頂きます。
郁子(むべ)の木
あけび科の常緑つる性植物の木、5月頃白い紅紫色がかった花が咲き、11月にはあけびに似た実がなるという。
むべの木(10:59) むべの花 むべの実
「天智天皇の一言が語源」の「むべなるかな(いかにももっともなことであるなあ)」がある。
琵琶湖のほとりに位置する滋賀県近江八幡市の北津田町には古い伝説が残っている。蒲生野に狩りに出かけた天智天皇がこの地で、8人の男子を持つ健康な老夫婦に出会った。 「汝ら如何(いか)に斯(か)く長寿ぞ」と尋ねたところ、夫婦はこの地で取れる珍しい果物が無病長寿の霊果であり、毎年秋にこれを食するためと答えた。賞味した天皇は「むべなるかな」と得心して、「斯くの如き霊果は例年貢進せよ」と命じた。
沖島
島周囲6.8Km、面積1.53Km2で琵琶湖では最大の島で、淡水湖の島で住民は此処だけのようである。保元・平治の乱に敗れた清和源氏の流れを汲む武者が島を開拓し、定住したのが島の始まりとか。島には370人の人が漁業を中心にして暮らしているようだ。船は堀切港からは1.5Kmの船旅で2時間ごとに出て片道10分ちょっとの所要である。
奥津嶋神社
奥津嶋神社には奥津嶋姫命(オクツシマヒメノミコト)が祀られ、入口の社号標には式内奥津島神社≠ニなっているが、鳥居の扁額には瀛津嶋神社≠ニある。少し階段を上がると、狭い境内に舞殿と新しい本殿。2003年に立て直したらしい。さらに上に上がる階段があって、少し行くと小さな祠がある。この祠から、また少し階段を上がると山神神社がある。
ここには紫式部の句が掲げられている
“おいつしま 守りの神やいますらん 波もさわがぬわらわえの浦”
紫式部
伊崎寺
伊崎寺の創建は不詳ですが奈良時代、役小角が開基したのが始まりと伝えられている。貞観年間(859〜77)、相応(比叡山回峰行の創始者)が再興し比叡山延暦寺の末寺となった。古くから修行道場として知られ、荒行の1つで琵琶湖に面する断崖絶壁の上に建立された竿飛び堂から突き出した棹の先端から琵琶湖に飛び込む「竿飛び行事」が引き継がれている。
伊崎の竿飛び (いさきのさおとび)
例年、8月の第1日曜に行われる。琵琶湖上に突き出た長さ13mの角材から、若者らが約7m下の湖面に飛び込む。今から約1.100年前に伊崎寺の修行僧が、眼下に広がる琵琶湖に空鉢を投げて、湖上を行きかう漁民たちに喜捨(きしゃ)を乞い、そのあと自ら湖中に飛びこんで、空鉢を拾い上げたのが始まりといわれる。これが天台宗の僧や信者らにより、湖へ飛び込む捨身(しゃしん)の修行として形を変え「竿飛び」として残り、現代になって厄除祈願、度胸試として定着した行事である。
喜捨(きしゃ):金銭や物品を寺社や困っている人に差し出すこと
捨身(しゃしん):仏法や他者救済などのために、自分の命をすてること