300名山紀行 岩木山・八甲田山
2011.8.1(月)−8.3(水) 有志 6名
岩木山 1624.7m
登頂日 2011.8.2(火) 天候 晴れ
岩木神社(9:30)−岩木山(13:45)−8合目駐車場(14:40)
津軽平野の明峰、津軽富士とも呼ばれ秀麗な山容はリンゴと共に大事にされている山である。麓にある岩木神社は奥の日光とも称され、荘厳華麗な建物が威圧するかの如く立ち並び、その歴史の古さを感じる。リンゴは未だ青くて収穫までには至っていなくて残念であった。神社にこれからの永い山行きの無事を祈願してから出発する。
神社の左横手から登山口が始まっている。杉の大木の中、広い道が少しずつ登っている。桜公園があり、スキーリフトがあり、次第に背の低い樹林の中へ入って行く。絶えず右手奥にスキーリフトを見ながら、急坂の登りを続ける。風が通らなくて蒸し暑く汗が滴る。
「焼止り避難小屋」では登山者が一人休んでいた。下ってくる登山者も幾人かいた。ここから沢伝いに荒れた石ころ道の登りになる。こんな高所でも冷たい水がトートーと流れている。有り難い。沢山の水を飲み、冷たい水を体中に浴び、火照った体を冷やす。非常に気持が良い。お目当てのミチノクコザクラが現れて来る。ハクサンコザクラより一回り大きいそうで、ここだけのこの山の固有種、しかもこの辺りだけの名花珍花だそう。谷の斜面一面に赤い花を咲かせている。白い花はミヤマゼンコウ、共に風に揺れてる様は見事であった。
崩壊して道の無くなっている所もあり、坊主コロバシと呼ばれる難所、足元の悪い垂直な岩場を這い登る。錫杖清水を過ぎると小さな沼の前に出てくる。鋭い岩峰や大きな岩場に取り囲まれた所、濃い霧が立ち込め不気味な感じがする。霧の切れ目に建物が見えた。
沼の後ろを登った所の建物は鳳鳴ヒュッテであった。ここまで来るともう銀座並の人出である。山頂は瓦礫の積み重なった見上げられる位置にありもう近い。登る人、下る人と混雑している。8合目駐車場からの登山者達であり、往復2時間程のコースを登って来ている。
山頂への道は不安定な石が積み重なっている急坂の道、落石も多かろうと思う。山頂も大岩が幾つも重なっている狭い所、登山者達は思い思いの岩の上で休んでいた。鐘と1等三角点があり、少し下がった所に避難小屋があった。
下山は8合目駐車場に向かう。山本さんに車を回して貰っていたお陰で、岩木山の最も充実したコースを歩く事が出来て大変有り難かった。古くからの修験道の道である。明峰にふさわしい良い山であった。
岩木神社に参拝 ミチノクコザクラ
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八甲田山 1584.4m
登頂日 2011.8.3(水) 天候 晴れ時々曇り
酸ケ湯温泉(5:30)−八甲田山大岳(8:05)−酸ケ湯温泉(10:30)
「八甲田山死の彷徨」で有名な山、実際にどのあたりを行軍していたのか興味があった。八甲田山の北側の裾野を青森から八戸方面へ行軍していて、田代で遭難している。後藤伍長が伝令の為引き返し、馬立場という所で立ったまま凍死寸前に発見されている。現在「後藤伍長発見の地」があり、登山の後行って見た。210名中199名死亡、生存者11名と言う惨事、後藤伍長の大きな銅像が立っていた。飯盒を背負い、鉄砲を持った当時の姿に行軍の悲惨さと雪中の苦しさに心が沈んだ。
八甲田と言う山は無く、幾つかの山の総称でありその内の最高峰大岳を目指す。前日は麓の
朝の早い内は気持が良い。鳥居の前から登山は始まる。樹林の中の緩やかな登り、良く踏み込まれている歩き易い道、階段もある。一登りで展望の効く場所に出て来て休憩する。先行者が一人休んでいた。
仙人
緩やかな少し急坂もある道を一登りで最高峰八甲田大岳に到着する。広い砂地の広場に1等三角点があった。ガスが立ち込めていて展望は得られなかった。休み場所も無い為、すぐ北の方向に下り、大岳鞍部避難小屋で休憩を取る。大きな背の高い建物で、長いハシゴで2階の窓から入るようになっている。小屋前には沢山のベンチがありここで食事を取る。
毛無岱湿原地帯に入る。ここにも長い木道がつけられているが、水は干上がっているのか全く無い。スゲともう終わりに近いワタスゲばかりで、殺風景な光景が延々と続いている。大岳の姿がガスの中から現れるようになる。広々とした風景に、ここでは景色を楽しむ所であるように思う。所々に展望所が造られていた。
グルリと周遊して酸ケ湯温泉に降りてくる。そして又千人風呂に入り、本日の登山は終了する。遭難の地を見、青森の町で三内丸山遺跡を見学した。
キンコウカ トンボソウ 八甲田・大岳に向かう ウサギギク